子どもが今日から保育園のメニューが完了食になるらしい

昨日連絡帳の返信に「そろそろ完了食への移行を考えています。早ければ明日からでも可能ですがいかがですか?」というような内容が書かれていた。

子どもは最近、ある程度粒の大きいおかずなどもよく食べるようになった。特に止める理由もなかったので、今朝の連絡帳で、「今日からお願いします」とお返事した。また一歩階段を登る。

1月の半ば頃に、母乳をやめていた。こちらがなんとか飲ませたくて頑張っていた母乳だったが、やめるときはなんともあっさりとしたものだった。やめた後の一週間くらいは、授乳する時間帯にいつもはしないような形でぐずって泣き止まなかったり不機嫌になることが多かったが、それもすぐにおさまった。

今お風呂は自分が入れいているのだが、最近は近くにおっぱいがあっても何も思わないようで、おもちゃで遊んだり、蛇口から垂れる水をじっと眺めるのに忙しい様子だ。ここから飲み物が出てくるということももう忘れてしまったようだ。母は全然忘れてないよ!といじけたしりしている。

ミルクはまだ少し飲んでいて、これもそのうちやめようか、と思いつつ。本人の飲む量が減らないし、よろこんでぐびぐび飲むのでやめ時がわからないでいる。完了食になって安定して体重にも問題がなければミルクもフェードアウトしようかと話している。

子どもの成長は当然嬉しいんだけど、離乳食、完了食とか、なんだかどれも終わりを意識させる名前で、いちいち寂しくさせてくるじゃんね。

2024年の振り返り

2024年のこと、主にプライベートのことを振り返る。こういうエントリーを書くのははじめてかもしれない。だいたいぼーっとしている間に年末も年明けもすぎて、うまくいったとして手元のメモに振り返りを書くくらいだった。家族に共有したい意図もあって、人様にとっては細かいことも書いてしまう。

1月

  • 2023年末に子どもが生まれて、入院から帰ったのが大晦日直前だったので、ふにゃふにゃの子どもと自宅で過ごす子育てがここから本格的始まった。
  • 夫が3ヶ月の育休。

2月

  • 1ヶ月検診も終えて少しずつお出かけもできるようになった。抱っこ紐で近所を一周したりしはじめる。すれ違うマダムに「あら〜まだあかちゃんあかちゃんなのね〜」と声かけられたのが印象的。確かにこの頃は新生児期はすぎたものの、まだまだあかちゃんの中のあかちゃんといった感じだった。
  • 車の購入。カングー2代目後期、ラポスト(わりとぱきっとした黄色)。探している間は、アースカラーに塗装されたやつがおしゃれでいいなと思っていたのに、カングーを見すぎて実際に買う頃にはカングーらしい黄色が可愛く見えるようになっていた。
  • 月末には子どもを連れて夫の実家で食事会。

3月

  • 実家から両親が会いにきて、一緒に浅草橋の五色というお店で子どもの日に向けて小さい兜を買った。木目込みの人形が可愛かったので、女の子はいないけどいつか雛人形を買い足したりしたい。
  • 実家に帰省。お宮参りの予行演習として、家族で着物を着て近所の神社をお参り。
  • 気まぐれに気になった中古マンションや建売を見に行くものの、まったく具体的にならないまま終わる。

4月

5月

  • 子どもの日。兜と一緒に写真を撮った。
  • 親族が亡くなり、急遽帰省。3月に一度帰っていたので経験値があってよかった。何泊するかも決まってなかったけど、前に作ったリスト見ながらざっと荷造りして出発できたし、現地調達などもしつつやり過ごせた。このときに初めてのホテル泊も経験。
  • 保育園見学大詰め、近所で空きがある認可保育園は一通り巡った。が、最終的にはちょうど空きがあった認可外に決まった。見学が無駄だったかというとそんなことはなく、保育園についてどんなところか知ることができたのでやっておいてよかった。
  • 子どもを夫にお願いして念願のXGのコンサートに行く。その後しっかり体調を崩す。

6月

  • 子どものハーフバースデー。特にお祝い的なことは何もしなかったが、布団の上を整えて1/2と手書きした風船を持たせて写真を撮った。
  • 散歩して、帰りにいい感じのテイクアウトのお昼を買うことにはまり、カレーとかバインミーとかをよく買って帰った。
  • ふいに暇を感じたときの楽しみにマイクラをはじめた。インスタで見つけた建築などを真似ていくつか建築を頑張った。流れでマイクラ建築動画をめちゃくちゃ見た。

7月

  • 実家から両親が日帰りで会いにきた。
  • だいぶお出かけにも慣れて近所のカフェ、児童館などにもよく出かけた。保育園に通う前に悔いがないように親子で参加するヨガなどいろいろ行ってみたりした。
  • 近くの里山にあるギャラリーでホワイトゴールドのブレスレットを柄にもなく夫婦お揃いで買った。
  • 夫の家族と中華レストランで食事会。

8月

  • 月頭に子どもが手足口病にかかった。保育園に通う前にかかったので感染経路は7月のお出かけのどれかか。
  • 慣らし保育開始。手足口病のため入園が1週間ずれ込む。
  • ブレスレットを買ったギャラリーで家族3人で似顔絵を描いてもらった。

9月

10月

  • 保育園のハロウィンパーティーで人生初、ささやかなコスプレをした。
  • 次の家について真面目に考え始める。「家プロジェクト Ph.1」開始。年内にマンションか戸建てか、新築か中古かなど方針を固めようといって動き出した。検討の結果は12月にある通り。
  • 妊娠で増えた分の10kgが落ちて、かつ下げ止まった。時間はかかったけど、ほんとに何もせずに落ちた。何もしないというのは、お菓子を食べたりたまに食べ過ぎるなども制御しないことを含む。あと3kgはなくていいけどここからはちゃんと努力しないと落ちないのだろう。
  • 親族の家族が亡くなり、この年2回目のお葬式参列。

11月

  • 保育園に通い出してから初めての冬。子どもを筆頭に家族で体調不良がループする。夫はマイコプラズマ肺炎の診断を受けて、おそらく全員かかっていたんだろうということになった。喉の痛みから始まって、咳が治るまで1ヶ月くらいはかかったんじゃないか。
  • 復帰前から予定していた泊まりがけでのディズニーランド、キャンセルになる。寒い時期のディズニー、結果的には行かなくよかったのかもしれない。

12月

  • 子どもの体調が安定して、わりとしっかり保育園に行った。
  • 保育園のクリスマスパーティー。家族でクリスマスの装い。
  • 近所の雑貨屋さんでススキのリースとサンタのマトリョーシカを買う。子どもの頃は好きだったクリスマス。大学生くらいからそんなに好きでもなくなって、子どもができて改めてちゃんと向き合うことにした。来年は小さくていいからツリーも飾りたい。
  • 子どもが1歳になった。近所のスタジオで課金しておしゃれ写真を撮った。気が向いたので、ヨーグルトと食パンでスマッシュケーキもした。インスタをやってないのでこれらの写真は基本みてねに共有されるのみ。
  • 土地を契約した。10月に始めた時には、年内は検討までと言っていたのに、土地探しがめんどくさくて早く終えたすぎて途中からブーストがかかり、結果契約までできた。
  • 子どもが突発性発疹+急性中耳炎で年末年始の予定すべてキャンセルになる。

おまとめ

  • 子どもが1歳になるまでの1年だった。思い返せば夫が育休を取っていた3ヶ月が余裕もあって一番楽しかった。お出かけできるようになってからもう1〜2ヶ月3人の時間があったら理想だったのかもしれない。保育園に入ってからは仕事と子どもの体調不良でそこまで出かけられなかった。出かけるチャンスは全て土地探しに注いでいたような気もする。今年はもう少し余裕があるだろうか。国内でいいから旅行がしたい。
  • 子どもが産まれて、車買ったり、土地買ったり。人生が進んでいっている感じがする。一方で、親族が亡くなったりで、死と老いについて考えさせられる年でもあった。

生後8ヶ月の赤ちゃんと泊まる一棟貸し&サウナ付き古民家宿

9月の最初の三連休。家族で千葉に一泊二日の小旅行に行ってきた。ほんとうは8月最後の週末に育休お疲れさま会として企画していたけど、その時期は台風で天候が大荒れだったので日程を変更したので、仕事が始まって2週間経ったこのタイミングになった。

これまで、私の実家がある宮城への帰省などはしたことがあったが、赤ちゃんを連れての純粋な旅行はこれが初めて。帰省であれば生後2ヶ月と4ヶ月とにで、合わせて2回している。そのときは、それなりに準備もバタバタしたし、慣れない自宅以外での子のお世話にいくつか苦労したこともあったりしたが、その経験のお陰ですでに一通りやりきったという自信もついていたので、今回はそこまで大きな不安はなく、いろいろビビリがちな夫婦である私達にしてはゆったりした気持ちでひさびさの旅行を楽しめたと思う。

zakki-missasan.hatenablog.com

子どもも過ごしやすく大人の楽しみもある宿探し

それでも一番こだわったのは宿で、せっかくのお疲れさま会ということで、少し奮発しても余計な心配やストレスなく過ごせる宿を選んだ。選んだときに気にしていたのは以下のようなこと。

  • 子ども関連の備品貸出があるなど子ども歓迎の宿であること
  • 子どもがうるさくても周囲への迷惑を気にしなくていい宿、できれば一棟貸し
  • 自宅からの距離が遠くなく、車で行けるところ
  • 大人も楽しめる要素があると尚良し

子どもが安心して過ごせることはもちろん、我々大人たちも楽しめる要素が欲しかったので、景色の良さそうなところや、普通のホテルや旅館以外にもグランピングやコテージなども含めて探した。そんな中で、前々から気になっていた「古民家」というキーワードが思いつき、いろいろ探して見つけたのが、今回泊まった「るうふ 揺之家」である。

loof-inn.com

サイトを見ていただければ一目瞭然だが、この宿は「家族で過ごす初めての旅行」をテーマにしていて、赤ちゃんと過ごすことを大前提に体験が考え尽くされた宿になっている。まさに我々のやりたいことそのものだった。

すべてが揃う、一棟貸しの古民家宿

古民家宿は、赤ちゃんと泊まるのにぴったりの場所。広々した空間に全面柔らかな畳張り。赤ちゃんが安全に動き回ることができ、まるで実家に帰ったかのような安心感を与えてくれる。それでいて実家よりだいぶきれいでおしゃれ。

古民家ならではのあたたかで落ち着いた雰囲気

縁側で過ごす子ども

設備や備品もかなり豊富で、おむつやおしりふきはもちろん、寝室にはベビーベッドにベビーモニター、スリーパー、ベビー枕、お風呂にはベビー用のシャンプー、ボディーソープ、ボディークリーム、キッチンにはベビー食器、スタイなど離乳食用具は一式、哺乳瓶用洗剤、となんでも揃う。足りないものを探すほうが大変なくらい。何か忘れても一泊くらいならほんとうにどうにかなりそう。

おもちゃも揃っているので、それを広い畳に広げて自由に遊び回ることができる

キッチンも自由に使えて離乳食やミルクを準備することができる

お風呂にもシャンプー、リンス、おもちゃなど子ども用品が揃う

押入れを活用したヌック。バースデーフォトなども撮れそう

大人も楽しめるサウナ付き

そしてなんといって、サウナ設備まで完備されているのがこの宿の最大の魅力。正直赤ちゃんを連れてサウナを楽しめるのかは少し不安だったが、片方がサウナに入っているときに片方が赤ちゃんを見て、次はそれを交代というのを繰り返して、少し時間はかかるものの、なんとか夫婦2人とも、3セット楽しんでしっかり整うことができた。

なんといっても大人はコレ

最高の外気浴スポットも

庭の木々と青空を眺めながら

古民家宿は私たちの理想にぴったりフィットする高級靴のよう

最初にサイト見たときは、おしゃれなで洗練された様子と価格に若干気後れしたものの、いざ滞在してみたら驚くほど快適で、自分たちにぴったりとフィットする感覚。赤ちゃんも自分に合う靴を履いたときのように(実際にはまだずり這いだけど)、広々した畳の空間を自由に動き回り、大人たちも大好きなサウナで心身ともにリフレッシュすることができた。

また訪れたい思い出の場所

次の日の朝、近所の海を散歩してのんびり帰り自宅をしながら、離れがたい気持ちになった。キッチンでコーヒーを入れて、窓から見える緑と静けさを味わいながら、こんな家に住みたいね、なんていうことも話したりした。またしばらくして、日々の忙しさに疲れたら、もう少し大きくなった赤ちゃんとまたこんな時間を作れたら幸せだ。

もし、子育て中のあなたが、リフレッシュできる時間と家族の絆を深められるような場所を探しているなら、この一棟貸しの古民家宿はまさにぴったりの場所だと思う。

海にも5分で行ける立地

慣らし保育

「保育園着いたよ」と声をかけた息子の耳の上にオレンジ色のちいさい点を見つける。あれ、この子ったらにんじん頭につけてんじゃん、とひとりごついて、今朝の離乳食のメニューを思い浮かべる。納豆となすのおかゆ、野菜スープ、かぼちゃとりんごのマッシュ。確か野菜スープににんじん入れてたような。そうしてメニューを思い浮かべていると今度は息子の汗ばんだ頭皮が目に入る。まだ生え揃わない短かくて柔らかい毛先に朝露のように汗が降りている。8月の日差しに照らされて、きらきらと光ってきれいだ。そのまま、息子の目元に視線を落とす。息子の表情は、にんじんの鮮やかなオレンジ色や朝露のような汗のきらめきに反して、呆然として節目がちだ。それもそのはず、今日は1時間も早く起きて、朝からたくさん遊んだのだ。最近は、プレイマットに投げ出された私の二本の足をよじ登って向こう側に行くのがブームで、はあはあ息を荒げながら何往復もしていた。もう眠たくてしょうがないのに、30度近い外に連れ出されて、保育園までの道のりをベビーカーの上で揺らされてきたのだ。ごめんね、暑いよね。いそいそと抱っこして保育園の涼しい室内に息子を連れていった。結局、頭のにんじんは取らずじまいになってしまった。誰か気づくだろうか。

9月からの復職に向けて、8月から慣らし保育が始まった。子どもは7ヶ月になった。朝9時半に送り届けて、11時半に迎えに行く。ほんの2時間の登園だ。その間息子は、ちょっと遊んで、サークルタイムで歌を歌ったりするみんなを眺めて、朝寝して、ミルクを飲んで、おむつを替えている。こんなに細かにわかるのは、通う保育園にはカメラがついていて、スマートフォンのアプリで常に様子を見られるからだ。初日は面白くて、近所のカフェで待機しつつ、ついついずーっと見続けてしまった。スマホは熱々になるし、ネットワーク帯域は使い切るし、せっかくの一人時間なのに何も進まないしで、なにやってんだとなって、翌日からはたまに眺めるだけにした。それでも、1週間ほど通うと、なんとなく1日の流れがどんな風に進んでいそうだというのはわかってきた。

この時期に保育園に通うのは、息子が生まれる前からそう決めていた。基本的には怠け者なので働きたくないのは当然働きたくないのだが、やっかいなことに、それなりに何かに追われていないと余計なことを考えがちな性分でもあるので、子どもと二人で一日中過ごす時間をずっと続けたら、どこかで限界が来そうというのは容易に予想できた。途中、もう少し子どもといたいかもと思うこともあったが(いや常に頭にある)、子育てのリズムが身について日中の時間を持て余すようになると、さっそく気持ちがくさくさし始めたので、完全に予想通りだった。そもそも保育園の途中入園は難易度が高いので、入れなかったらそれまでと思っていたが、空きのある保育園を見つけられたことは運がよかった。

7ヶ月から保育園に入れるというと、大抵の反応は「早いね!」だった。その「!」の中には、特にネガティブな意図はなく、含まれるニュアンスはだいたいがおそらく「そんなに早く仕事はじめるなんてえらいね」なことがほとんど。育休終わりのご褒美に行ったマッサージで若い施術師さんには「仕事好きなんですね」と感心されたが、決してそんなことはないので、そうですね〜となんだか居心地が悪かった。子育て支援センターなどで出会う助産師さんには「仕事だもんしょうがないよね」と言われて、別に働かなくても経済的に逼迫するほどではないかならな〜とこれまた居心地が悪かった。じゃあ何だったら居心地が悪くないのかと言われると、おそらく「そうなんだ〜保育園見つかってよかったね」くらいが気楽でいいんだろう。「えらいね」も「しょうがないよね」もいらないのだろう。否定も困るが肯定もいらない。そのどちらもが居心地が悪いのは、誰に言われたでもなく勝手に私が抱いている早く預けることへの後ろめたさのせいだ。

お迎えの時間になり、園のインターホンを鳴らすと、にこやかな担任のM先生に抱かれて、まんまるの目をきょろきょろさせながら足をばたつかせた息子が顔をのぞかせる。会えた喜びですぐにでも抱っこしてぎゅうぎゅうしたいのだが、大人の目があるので平静を装いつつ「今日はどうでした?」などと息子の様子を伺う。息子は少し朝寝ができたのか、登園したときよりは元気そうな顔でアッアッと何かを話している。「いろんなおもちゃで遊びましたよ」「ミルクは少し残しました」などその日の様子を聞きながら、ふむふむと頷く。君はどうだったのかな?楽しかったの?さびしくなかった?とよだれの乾いた跡の残る頬をつつきながら尋ねると、2時間ぶりに見る親の顔が嬉しいのか、息子はにこにことよく笑った。

お宮参りとお食い初め同日開催

「お宮参り」と「お食い初め」。子どもを産むまで、この2つのイベントが存在することすら知らなかった。妊娠中、出産が近づくにつれ、Instagramのおすすめに、「1歳までのイベントリスト」みたいな投稿が目に入るようになって、そこで知るようになった。こんな文化、地元(東北のめちゃくちゃ田舎)にはなかったなあ、と思いながら母親に聞くと、なんとどちらもやったと言っていたので驚いた。どちらも子どもの健康や成長などを祈って行う儀式だが、やってもらった当の本人はまったく気にも留めていなかったようだ。

とはいえ、家族で集まって子の成長を祈ったり、それを写真に撮って思い出に残し、子どもが大きくなったら家族が子どものためにそうやって祈ったんだよ、というのを伝えられるのはよいことだろうということで、我が家でも実施することにした。実際に開催したのは4月13日のことなので、2ヶ月以上経ってしまったが記憶を呼び覚ましながら何をやったか少しだけ残しておくことにする。

本来、お宮参りは生後1ヶ月を目安に、お食い初めは生後100日にそれぞれ行うものらしいのだが、最近は生後1ヶ月の抵抗力の低い時期に頑張って連れ出すのではなく少ししてから、かつ母親の産後の身体が回復してからゆっくりと行うことも多いらしい。さらには、お食い初めと一緒に行う人も一定数いるということだった。我が家は両親が遠方に住んでいることもあって、2度呼びつけるよりは、1度で済ませてしまったほうがいいだろうということで、1日でまとめて開催することにした。呼ぶのは、両家祖父母、兄弟夫婦、近くに住む叔母、などなど。自分たちも含めると大人が10名のイベント。私は結婚式も少人数で行ったので、そうなってくると、自分にとってこれは結婚式以来の1日がかりのまあまあの規模のイベントとなる。

タスク管理

やったこともないし、詳しく知らないイベントを主催し、両家の親族を集めて滞りなく進めるなんてことが、この産後のしんどい時期にできるのかと不安だった。夫と相談して、タスクや決定事項をNotionで管理しながらひとつずつ進めていこう、ということになった。

www.notion.so

会場選び

お宮参り会場は伊勢山皇大神宮。特にこだわりがなかったので、検索して上位に出てきた神奈川県で定番のお宮参りスポットにした。

www.iseyama.jp

当日の流れ

当日のスケジュール。やりたいこと、注意事項を盛り込んだらこんな感じになった。

やりたいこと・注意事項

  • 自分は着物を着るので、当日朝の出発前に着付けをする必要がある
  • お宮参りで家族写真を撮影する時間を確保する必要がある(写真はカメラマンさんに依頼)
  • 着付け後は母乳での授乳ができないので、ミルクを1回は挟む必要がある
  • 1日着物はしんどいので、お食い初め前に着物を着替えたい

スケジュールと大まかな流れ

朝自宅で着付けをして、車で伊勢山皇大神宮に移動、午前中にお宮参りを済ませる。お宮参りのメインは神社での祈祷だが、その1時間ほど前にカメラマンさんと落ち合って家族写真を撮影。撮影が終わったら祈祷申し込み、祈祷と合わせて1時間程度。その後、会場となる食事処があるホテルに移動して、着物からワンピースに着替え、食事処で2時間ほどの会食。ホテルでの解散という流れになった。

時間 項目
6:00 起床
7:00 授乳(母乳)
7:30 着付け
8:45 出発
9:45 お宮参り会場到着
9:50 授乳(ミルク)
10:00 家族集合&カメラマンさんによる写真撮影
11:00 祈祷
12:00 お食い初め会場へ移動
12:30 会場内更衣室で着替え(着物->ワンピース)
13:30 授乳(母乳)
14:00〜16:00 会食
16:10 授乳(母乳)
17:00 移動
18:00 帰宅

当日の持ち物

子どもの荷物やら産着やら、自分の着替え関連やらでややこしく、Notionにリストアップして前日に指差し確認をしながら夫と二人で準備した。だいたいはこんな感じ。実際には「一式」に含まれるものもリストアップしていた。

  • マザーズバッグ一式
  • ミルク一式
  • 産着一式
  • 子どものお出かけ着
  • 子どもがお食い初めで着るベビー袴
  • 自分の着替え一式
  • お宮参りの初穂料
  • カメラ
  • 三脚
  • ベビーカー
  • ブランケット
  • おしゃぶり
  • 子どものおもちゃ

利用した各種サービス

やりたいことを実現するために、各種サービスを活用した。こだわりがなければ、たとえばとある有名写真スタジオに頼めば母親の着付けから子どもの産着レンタルまで一式でそろうプランがあったりもしたし、なんなら伊勢山フォトというところでは、お食い初めの会食会場まで手配してくれらしかったのだが、着物は母親のお古を借りたり、カメラマンさんは自分の好みのテイストの方にお願いしたかったり、会食会場は自分で選びたかったりなど、思う通りにカスタマイズしたい箇所があったので、特にプランに頼らずすべて自分で手配した。それぞれどこに何をお願いするかの調査、予約、事前の調整、支払いなどなど個別に対応する必要があった。着付けや写真撮影のスケジュールが問題ないかや、レンタル品がきちんと期日に届くか、そもそも漏れがないかなど気にすることが多くてそこそこ大変だった。

写真撮影のためのカメラマンさんの手配:fotowa

fotowa というカメラマンさんとのマッチングサービスを利用した。いろいろ検索すると同様のサービスがいくつも出てきたが、価格帯と自分好みのカメラマンさんを選んで依頼ができるということで、こちらのサービスを利用した。どういう写真を撮りたいかや、当日の流れ、集合時間・場所などについては事前にサービス内のチャットで済ませ、支払いもサービス内で完結できるので、当日は撮影のみで済んだので非常にやりやすかった。幸いにも、担当してくださったカメラマンさんが丁寧で親切な方だったのでそれも滞りなく済んだ一番の要因だろう。

fotowa.com

当日朝の着付けの手配:くらしのマーケット

くらしのマーケット で近所で安く着付けしてくださる方にお願いした。こちらは、担当してくださった方の希望で当日現金払いだった。それ以外のサービスがアプリ内決済だったので、うっかり当日現金支払いであることを忘れていて焦ったが、たまたま持ち合わせがあったのでなんとかなった。

curama.jp

お宮参りで使う子どもの産着:京都かしきもの

京都かしきもの でレンタルした。お宮参り用の産着は、兜や鷹などの柄によって、どういう願いを込めるという意味が変わってくるというのも初めて知った。デザインも価格も様々でかなり悩んでしまったが、結局価格帯は低めの無難な柄で落ち着いた。

kashikimono.com

(開催後)撮影した写真のプリント:しまうまプリント

当日の写真をしまうまプリントで小冊子にして、両家祖父母に送ったら喜んでもらえた。アプリ上で構成などを組んで申し込むだけなので、比較的簡単にデザインができてよかった。価格も安価。

www.n-pri.jp

感想

お宮参りとお食い初めの同日開催は、遠方から家族を呼んで開催するにはよいやりかただった。

ただ、参加者も多いのでちょうどよい日程を調整していたら、100日どころかもう少し時期をオーバーしてしまったので、すでにむっちりした我が子に対して、お宮参り会場に集まる他のお子さんたちがとても小さく見えた。産着セットに入っていた帽子に頭が入り切らず、嫌がる子どもと格闘したのはよい思い出。

というわけで、準備は結構大変だった。着物を着ることと写真にこだわったせいで結局いろいろカスタムして用意しなければいけず、産後の身体のダメージも育児の疲れもあってヘトヘトな中進めていたので途中ちょっと挫けそうにはなった。どれかを諦めるか?というのは何度も考えたけど、それでも着物も写真も思った通りやってよかった。正直ここまでくると親の自己満足だなと思わないではないが、子どもが大きくなったら楽しかったんだよ、君もとても可愛かったんだよと、写真を見せながら自慢してやろうと思う。

開き直ったら母乳育児が少しだけ楽になった話

「私のときってどうだったの?」と母に訊ねたら「あなたのときは2人目で仕事もしてて忙しかったから母乳あんまり出なかったんじゃなかったかな〜ミルク使ったな〜」と特に引け目を感じるふうでもなくさらっと言われて、なんだそうなんだ、と拍子抜けした。私が母乳にこだわるのは、母親の影響の可能性もあるなと思っていたけれど、どうやらそうじゃなかったらしい。

もともと母乳育児にそこまで思い入れがあるわけじゃないと思っていた。それなのに今、私はどれだけの母乳量を子どもに飲ませられるかにやっきになっている。産後、あまり母乳が出なくて思い悩んだときも、粉ミルクでいいじゃないか、なんならそのほうが子どものためでもあるのでは、と何度も自分に問いかけたのに、結局母乳を諦めることができなかった。医学的なメリット・デメリット、母親のライフスタイル的な意味でのメリット・デメリットはインターネットに山ほど転がっていた。出産前は、どちらかというとインスタで流れてくる「完ミ(100%粉ミルクで育てること)で子どもも自分も大切にする育児」のほうが今っぽくてスマートな感じがして(実際はミルクでも大変なことはある)憧れていたのに、蓋を開けてみたら全然スマートでもなんでもなく、泥臭く母乳量を増やすために、毎夜子どもが寝ている間に電動搾乳器でずこーずこーと母乳を絞る日々を過ごしている。

出産直後、子どもがついに病室にやってくるとなった日の朝、おっぱいを絞ってみたらじんわりと水分が滲んだときは感動した。不妊治療でできた子どもでも、40歳間近の高齢出産でも、産んだらほんとうに母乳が出てくるんだ! と生命の神秘を感じた。この母乳で子どもが育つのか試したい気持ちが湧いてきた。その時から、出産前はなかった母乳育児への思い入れが少しずつ育っていったのだと思う。ところが、母乳量はその後もあまり増えず、退院後もしばらく時間がかかった。地域の助産師さんに相談したり、電動搾乳器を買って搾乳したり、いろいろ試行錯誤しながらやっと最近になって、母乳を主体にミルクを必要に応じて足すくらいで育児ができるようになった。

もうすぐ母乳量が努力で増える時期が終わりつつある(産後100日頃までと言われているらしい)。これからは、今の量を維持しつつ、子どもが飲みたがる様子に合わせてミルクの量を増やしたり減らしたりしていくことになる。ほんとうは、もっともっと子どもがお腹いっぱいになるくらいまで母乳を飲ませてあげたかった。そこまでには至らなかったことが悔しくて最近は搾乳しながらも少ししょんぼりしてしまう。合理的ではないナンセンスな悩みだな、と思う冷静なもう一人の自分もいる。言ってしまえば、母乳でもミルクでも、どちらをどうあげようと子どもが元気ならそれでいいのだ。もやもやしているのは親の私だけ。それがわかっていてもすっぱり割り切って合理的でスマートな育児ができないのは、自分でも不思議だ。考えてみれば、不妊治療までして子どもがほしいと思う気持ちにも合理的な理由なんてなかった。「本能」と言ってしまったらなんだか簡単だけど、なんとなくそういうものでもないような気がしている。これまで長いこと触れてきたどっかの価値観の刷り込みか、生命としての自分に対する飽くなき好奇心か、そういうものが絡み合ってもはや明確に自覚できないような形で根付いているんだろうなと思う。

母乳が増えなくて思い悩んでいるとき、ある日「とにかく自分は子どもに母乳をたくさんあげたいのだ」ということは素直に認めることにした。悩んだ末に母乳にする理由が見つかってそうするのではなく、とにかく小難しく悩むのをやめた。自分が母乳をあげたいと思う理由もわからないけど、理由を探すこともやめた。合理的でないとか、ミルク育児でいいじゃないかとか思うことをただただシンプルにやめた。いつか、保育園に入れるときとか、離乳食が進んだときとか、そう遠くない日にどうせ母乳があげられなくなる日がくる。そのときに、ほんとうはいろいろ試せることがあったのに、なんでか諦めたんだよな、と思わないように、やりたいことはやってみよう、そのために気力と体力と時間とお金をかけることを自分に許す! とあるとき決意したのだ。そしたらいろいろと少し楽になった。インターネットでは、「なぜ母乳育児を諦めたのか」みたいなコンテンツもたくさんある。どうしようもなくそうした人も、メリット・デメリットを見比べてそう決めた人もいた。私は、「理由はわからないけど、母乳をあげたいからあげる」と決めた。なんだか無責任で自分勝手な気もして怖かったけど、そう決めたら楽になったのだからしょうがない。それからは今このときの、一回一回の子どもとの授乳の時間を楽しめるようになった。結局それが一番大事だと今は思える。

40歳の誕生日と生後2ヶ月の息子との宮城帰省

先日、とうとう40歳になった。39歳後半くらいから自分はほぼ40歳の気分で過ごしていたのでなんということはないかと思ったけど、いざ30代が終わったと思うと、なぜか切なくなった。30歳になったときも、くさくさした気持ちになって、仕事終わりに新宿の占いのやかたで占ってもらった。はじめは手相を見てもらうと思ったが、30歳なら手相くらいじゃ期待するものはなにもわからないよと言われて、算命学で占ってもらった。たしか3000円くらいした。その結果を友達が営むコワーキングスペースに持って行って一緒に読んでなんやかやと話したのが懐かしい。

40歳の誕生日も特に何事もなく、翌日から宮城の実家に帰省予定だったので、その荷造りをして、夜はドミノピザを頼んで夫と二人で小さいピザを一枚ずつ食べた。息子が泣いてしょうがなかったので届いたピザを眺めながら授乳をしていたらあっという間に冷めてしまったけど、ひさびさの宅配ピザはおいしかった。 そう考えると、30歳のときからはだいぶ状況は変わっていて、結婚したし子どももできた。あの頃占いで知りたかったような未来は、理想通りでないことはところどころあれども、おおむね叶ったのじゃないかと思う。ありがたいことだ。

30歳のときは、未来がどうなるか全くわからないことがとにかく不安だった。仕事もうまくいってなくて年齢のわりに給料も少なかったし、恋人もいなかった。確定していることがあまりなかった。40歳は、いろいろ確定していることが多くなってくる。あと20年くらい普通に頑張ればこういう仕事はできそうだとか、給料はどのくらいになりそうだとか、子どもを育てるならお金がどのくらいかかるとか、家を建てるならどうとか。あの頃より満たされたことは多いけれど、その分、身動きできる範囲も心地よい程度では絞られてきたんだなと感じる。次の10年、50歳になる頃には、今思いもよらないことがどのくらい起きているんだろう。そういうことが少しでも起きるような人生であるように、動き続けて変わり続けていきたいと思う。

というわけで(?)、今週は2泊3日で実家に帰省してきた。初めての遠出、初めてのお泊まり、しかも2泊ということで、ちゃんとやれるのか、体調を崩したりしないかいろいろと不安だったが、何事もなく戻ることができた。2ヶ月で泊まりがけは早いと思う人もいるかもしれないが、息子にとっての曽祖父母(私の祖父母。なんと二人とも健在)になるべくたくさん会わせてあげたいのと、夫が育休中のうちに一度行っておきたかったのもあって、挑戦することにした。先日訪問してくれた助産師さんにそのことを話したら、いいですね、大丈夫ですよ、と優しく背中を押してくれたのが心強かった。その時はじめてちゃんと息子を連れ出すことへの罪悪感がなくなった。帰省までいかずとも、外出などのチャレンジにはいつもうっすらと罪悪感がつきまとう。

車移動や新幹線ではほとんど困ることはなく、息子も空気を読んでか終始すやすや眠ってくれた。むしろ実家についてからが大変で、昼も夜もわりかしよく泣いた。あまり泣いているところを見たことがなかった両親が、どこか痛いんじゃないか、熱はないかといって心配していた。実家から戻って1日たつ今のところ異変はないので、単に普段と違う刺激に興奮していたのじゃないかと思う。

実家では、初孫ということもあって、みんなが息子を可愛がってくれた。私が子どもの頃に使っていたという、レトロなおもちゃも出してきて遊んだりした。現代のおもちゃでは聞いたことがないようなものすごく複雑で幻想的な音がするおもちゃで、息子が目を丸くして興味津々でその音を聞いていた。

他にも、母が子ども向けの歌を歌うので、それに合わせて合唱した。ぶんぶんぶんとか、犬のおまわりさんとか、春が来たとか、とにかく選曲が古風だったので笑ってしまった。かくいう私も今はどういう童謡が歌われているかなんてわからないのだけど。ネットで「0歳 手遊び」とかで検索して出てくる歌をいくつかうろ覚えのまま母に教えて一緒に歌った。母は昔から歌うのが好きで、2人で車に乗っている時などは学校で習った曲なんかを適当に合唱したりしていた。母は子どもの頃聖歌隊に入っていたのもあって、即興で簡単なハモリも入れられる。なんどもせがんでいろんな曲でハモってもらったものだ。その後も、母が引き出しから木製のリコーダーを出してきて、エーデルワイスなんかを吹いたりするので、それに合わせて歌ったりもした。

2日目は、母の古い着物を着て近所の神社にお参りに行き、写真を撮った。お宮参りは関東でちゃんとしたのをやるのだけど、その予行演習みたいなものになった。母がわざわざ和裁の先生を呼んでくれて、家で着付けてもらった。夫もアンサンブルの着物を着た。息子も赤ちゃん用の袴を着せた。着物と袴が繋がっていて、スナップボタンで全部一気に着せられるようになったものだ。ネットで買ったものだったけど、どんな作りになっているのかと、和裁の先生も興味を示していた。着物についての知識なんかを話してもらいながらあれよあれよと1時間ほどで2人分の着付けが完了して、魔法のようだった。

最近曽祖父が内臓やら目やらにちょこちょこと不調が出てきて、寝たきりというわけではないけれどおっくうがって寝床からなかなか出てきてくれなくなっていた。着物を着たよと声をかけたら、寝巻きのまま出てきてくれたので、一緒に写真を撮ることができた。私と夫と息子、両親、祖父母、総勢7人の集合写真が撮れた。みんな元気なうちにこういうことがたくさんできたらいい。(これも40歳近くになってきて思うようになったことだ。30歳の頃はこんなこと思いもしなかったし、実家なんかめんどくさがってなかなか帰らなかった。)

そんなこんなで、短い日数ではあったけど、いろんなことをして遊んで帰ってきた。家に着いてしばらくすると、息子がいつもより多くクーイングすることに気がついた。ベビージムの下でじたばた遊びながらくぅーくぅーと一人で何度も呟いている。普段はほとんど夫婦2人としか接してないので、みんなに囲まれて3日過ごしたことが息子にとって良い刺激になったようだ。ずっと息子とお話ししたくて、毎日あーとかうーとか言ってクーイングの真似事をしたり、たわいないことをとにかく話しかけたりして頑張っていたので、それよりも実家での数日の刺激でこんなに変わるのかと嬉しい反面ちょっとだけしょぼくれた。それでもくぅーくぅーと話す息子の口元が愛おしすぎて誰の手柄かとかそんなことはすぐにどうでもよくなるのである。