開き直ったら母乳育児が少しだけ楽になった話

「私のときってどうだったの?」と母に訊ねたら「あなたのときは2人目で仕事もしてて忙しかったから母乳あんまり出なかったんじゃなかったかな〜ミルク使ったな〜」と特に引け目を感じるふうでもなくさらっと言われて、なんだそうなんだ、と拍子抜けした。私が母乳にこだわるのは、母親の影響の可能性もあるなと思っていたけれど、どうやらそうじゃなかったらしい。

もともと母乳育児にそこまで思い入れがあるわけじゃないと思っていた。それなのに今、私はどれだけの母乳量を子どもに飲ませられるかにやっきになっている。産後、あまり母乳が出なくて思い悩んだときも、粉ミルクでいいじゃないか、なんならそのほうが子どものためでもあるのでは、と何度も自分に問いかけたのに、結局母乳を諦めることができなかった。医学的なメリット・デメリット、母親のライフスタイル的な意味でのメリット・デメリットはインターネットに山ほど転がっていた。出産前は、どちらかというとインスタで流れてくる「完ミ(100%粉ミルクで育てること)で子どもも自分も大切にする育児」のほうが今っぽくてスマートな感じがして(実際はミルクでも大変なことはある)憧れていたのに、蓋を開けてみたら全然スマートでもなんでもなく、泥臭く母乳量を増やすために、毎夜子どもが寝ている間に電動搾乳器でずこーずこーと母乳を絞る日々を過ごしている。

出産直後、子どもがついに病室にやってくるとなった日の朝、おっぱいを絞ってみたらじんわりと水分が滲んだときは感動した。不妊治療でできた子どもでも、40歳間近の高齢出産でも、産んだらほんとうに母乳が出てくるんだ! と生命の神秘を感じた。この母乳で子どもが育つのか試したい気持ちが湧いてきた。その時から、出産前はなかった母乳育児への思い入れが少しずつ育っていったのだと思う。ところが、母乳量はその後もあまり増えず、退院後もしばらく時間がかかった。地域の助産師さんに相談したり、電動搾乳器を買って搾乳したり、いろいろ試行錯誤しながらやっと最近になって、母乳を主体にミルクを必要に応じて足すくらいで育児ができるようになった。

もうすぐ母乳量が努力で増える時期が終わりつつある(産後100日頃までと言われているらしい)。これからは、今の量を維持しつつ、子どもが飲みたがる様子に合わせてミルクの量を増やしたり減らしたりしていくことになる。ほんとうは、もっともっと子どもがお腹いっぱいになるくらいまで母乳を飲ませてあげたかった。そこまでには至らなかったことが悔しくて最近は搾乳しながらも少ししょんぼりしてしまう。合理的ではないナンセンスな悩みだな、と思う冷静なもう一人の自分もいる。言ってしまえば、母乳でもミルクでも、どちらをどうあげようと子どもが元気ならそれでいいのだ。もやもやしているのは親の私だけ。それがわかっていてもすっぱり割り切って合理的でスマートな育児ができないのは、自分でも不思議だ。考えてみれば、不妊治療までして子どもがほしいと思う気持ちにも合理的な理由なんてなかった。「本能」と言ってしまったらなんだか簡単だけど、なんとなくそういうものでもないような気がしている。これまで長いこと触れてきたどっかの価値観の刷り込みか、生命としての自分に対する飽くなき好奇心か、そういうものが絡み合ってもはや明確に自覚できないような形で根付いているんだろうなと思う。

母乳が増えなくて思い悩んでいるとき、ある日「とにかく自分は子どもに母乳をたくさんあげたいのだ」ということは素直に認めることにした。悩んだ末に母乳にする理由が見つかってそうするのではなく、とにかく小難しく悩むのをやめた。自分が母乳をあげたいと思う理由もわからないけど、理由を探すこともやめた。合理的でないとか、ミルク育児でいいじゃないかとか思うことをただただシンプルにやめた。いつか、保育園に入れるときとか、離乳食が進んだときとか、そう遠くない日にどうせ母乳があげられなくなる日がくる。そのときに、ほんとうはいろいろ試せることがあったのに、なんでか諦めたんだよな、と思わないように、やりたいことはやってみよう、そのために気力と体力と時間とお金をかけることを自分に許す! とあるとき決意したのだ。そしたらいろいろと少し楽になった。インターネットでは、「なぜ母乳育児を諦めたのか」みたいなコンテンツもたくさんある。どうしようもなくそうした人も、メリット・デメリットを見比べてそう決めた人もいた。私は、「理由はわからないけど、母乳をあげたいからあげる」と決めた。なんだか無責任で自分勝手な気もして怖かったけど、そう決めたら楽になったのだからしょうがない。それからは今このときの、一回一回の子どもとの授乳の時間を楽しめるようになった。結局それが一番大事だと今は思える。