切迫早産入院と出産の思い出

2023年12月26日。クリスマスが終わって時計の針が少しすぎた頃、わたしのもとに大きな泣き声をあげながら、2720gの小さな男の子がやってきた。 助産師さんによって取り上げられた赤ちゃんを腕に抱いたとき、すぐに私は、ああ確かにこの重さだった、この背中の丸みだった、このもぞもぞ動くスピードやリズムも知っていると思った。これをお腹の中や、お腹を撫でる手のひらで感じていたと確信した。初めて会って顔を見る子だけど、その感覚、感触でこの子がずっとお腹にいたあの子だというのがわかる気がして、それがすごく神秘的で、ものすごく感動した。

あれから、もうすぐ1ヶ月が経とうとしている。出産直前の陣痛がどんな痛みだったか。お腹がどんな大きさでどんな形で、胎動の感触がどんなだったか。それが驚くほど早く記憶から薄れていくのを感じる。産んだ直後は、あんなにまざまざとリアリティをもって感じていられたのに。 あのとき誰が何をしたか、何を言ったか、自分が何を考えていたかのような文字として語れるものや、映像として思い描けるものはもう少し覚えている。ただ、手触りや痛みのような感覚はメモリから揮発するように、新しいもので上書きされるようにどんどん忘れていってしまっている。 それがすごく寂しくて、せめて文字として記録しておきたくて、出産に(可能なら妊娠についても)まつわることを少しずつ書き残していきたい。 ただ、あまりまめな性格ではないので、どのくらい書き残せるかは自信がない。自分に期待しないでおこうと思う。

生まれる前日、クリスマス当日の12月25日、妊娠36週2日目のその日まで、私は切迫早産で入院していた。入院して6日目だった。 12月のはじめ、産休に入る直前に少量の出血があり、そこから自宅での安静を言い渡されていたのだが、12月20日、35週4日目、午後から深夜にかけてお腹が張り続け、徐々に痛みを伴うようになったので、産院に電話をすると急遽受診することとなり、そのまま入院となった。 私が出産を予定していたのは、総合病院ではなく個人院で、先生や助産師さんの話によると、一般的に36週をすぎると個人院でも出産して問題ないと言われているようで、そこからは、もう少しお産を先延ばしにするため、子宮の収縮を抑制するウテメリンという薬を点滴し続けることになった。点滴をしている間は張りも落ち着くようだった。

その日は、前日から先生と相談していた通り、いったん点滴を中止して、張りがおさまっているようであれば、一度退院して様子を見ようということになっていた。私も家に帰りたかった。あわよくば自宅で過ごしながら正期産になる37週以降まで待ちたかった。 そうして、25日の11時頃、6日間続けてきた点滴をやめた。

するとその4時間後、お腹の張りが気になりはじめた。夕方には5分間隔で呼吸が詰まるような痛みが伴うようになった。ちょうど面会に来た夫とは、きっとしばらくは張りや痛みにたえることになるだろう、と話をした。翌日までに張りがおさまれば家に帰れると伝えた。1時間の面会時間が過ぎ、夫は不安そうな顔をして帰っていった。

夕方頃は6〜7分間隔だった陣痛が、19時台は3〜4分間隔になり、痛みも強まっていて、めちゃくちゃ不安だった。でもこの時点でさえ、そんなに簡単に生まれてくるわけがなかろうと高を括っていた。

その後2回ほど、抑制剤を肩への注射で追加したものの張りも痛みもおさまらず、21時頃トイレに行くと出血があり、診察をしてもらったところ、子宮口の開きはすでに3センチ。「このままお産に進みましょう」という先生のひとことで、あれよあれよと、それまでの切迫早産を食い止める処置から反転、一気にお産に挑む準備へと切り替わっていった。

結局、期待していたように自宅に帰れるということはなく、そのまま出産することになった。

お産自体は驚くほどスムーズに進んで、覚悟も緊張もする暇も余裕もなく、分娩室に入って2時間後くらいには子宮口も全開近くまで開き、立ち合いを予定していた夫を急いで呼びつけることになった。風呂上がりにLINEに数件のメッセージが届いているのを見た夫はだいぶ焦ったそうだ。 無痛分娩を希望していたので、麻酔を開始するとしばらくして痛みもおさまり、普通に会話ができる状態になっていた。

分娩室では、天井から下げられた大きなテレビがついていて、YouTubeで延々とクリスマスソングのプレイリストが流れていた。取り上げてくれた助産師さんが23時半頃、「クリスマスベビーがいい?」と聞いた。「せっかくなのでそれもいいですが、間に合いますかね」と答えた。結局、あと一歩間に合わず、翌0時4分の出産となった。

そうして息子は私のもとにやってきた。 この記事を公開している1月20日は本来の予定日。それよりも25日も早かった。それでも生まれてみれば大きさも十分、大きな産声をあげる、元気な男の子だった。 妊娠も出産も思い通りにならないことが本当にたくさんある。産休中にやりたかったマタニティヨガも契約だけして一度も行けなかった。計画していた年末の大掃除も一つもしてない。インスタやYouTubeで調べ倒していた入院準備もまったく役に立たず、夫が即席で準備した。世界一幸せな洗濯と言われる子どもの肌着などの水通しも、入院中に夫が1人でした。 それでもそんなことは全部どうでもいいくらい、息子が無事に生まれてくれたことが何よりもありがたい。 もともと子ども好きとは言い難い私が、自分の子どもを、生まれたてのしわしわの新生児をかわいいと思えるのかというのがずっと疑問だったけど、真っ赤な顔で泣き叫ぶ息子は目にした瞬間からめちゃくちゃかわいいと思えた。 この記録を書きながら出産に至る出来事を一つずつなぞっていくと、全部が味わい深い大事な思い出になっていることがしみじみわかる。 妊娠と出産という、一生の思い出、一生の財産をくれた息子には感謝しかない。

出産予定日の今日時点での体重は、洋服分をさっぴいても3500gを超えました。