渋谷の広告と若者

都会にはめちゃくちゃたくさんの人がいた。スクランブル交差点を行き交う人の波は俯瞰すると巨大な現代アートみたいに感情が圧倒された。街中にあらゆる広告がひしめいて、目や耳を刺激してくる。アイドル、ミュージシャン、ゲーム、アニメ、携帯電話、FX、ビール、エトセトラ。人間と情報の大洪水だ。そのどれもが誰かが何かを意図して配置したもので、一つとして自然とそこにあるものではない。道行く人々もただそこにいるのではなく、何かを求めてわざわざ渋谷に集まっているのだ。私も「久々に渋谷という街に挑み、服か何か気に入ったものを買う」という目的を持って歩いている一人だった。渋谷にはたくさんの若者がいるけれど、不思議と何か共通する雰囲気をまとっているように感じた。それほど奇抜だったり洗練されたおしゃれな人という雰囲気を発していない一見すると普通の子という感でも、一つ一つの服や持ち物をよくよく見てみると、その人の趣味が反映されていると思われる少し変わった形のバッグを持っていたり、気の利いたデザインのトップスだったり、有名なブランドものだったり、気をつかって大事に選ばれた品物という感じのものを身に着けていた。でも数人で並んで歩く姿を遠巻きから集団として眺めるとなんとなく同じように見える。ほとんど同じような体型で同じように首周りや裾まわりに大きめのフリルのついた女っぽいワンピースを来た5〜6人が西武出入り口の前でおしゃべりをしながら何かを待っていたり、アパレル店と思われる店の前に同じようなファッションの人々が長い列をなして携帯を見つめながら自分の入店の順番を待っていたりする。それぞれ自分なりの好みや趣味を持っていてそれを満たす商品を提供する場所が渋谷にはあって、街なかを混ざり合って動いていればばらばらに見える人々もその場所にたどり着けば似たような人に見えたりする。久々に渋谷で買った服を抱えながら歩く自分も同じように「〜が好きそうな人」みたいなカテゴリーを背中に貼り付けながら渋谷の街を彷徨っている人の一部なんだろう。